山あいの庵は、外界から切り離されたように静かだった。
風が木々を渡る音と、火のはぜる小さな音だけが、ゆるやかに流れている。
玄道は囲炉裏の前に座り、湯の入った鍋を見つめていた。
湯気が細く立ちのぼり、やがて空気に溶けて消えていく。
その向かいで、おさきは足を抱えて座っていた。
まだ幼い身体には少し大きすぎる衣が、肩口でゆるく揺れている。
じっと火を見ていたかと思うと、ふと顔を上げた。
「ねえ、玄道」
「……どうした」
「玄道って、前は、いろんなところに行ってたんだよね」
問いは、確かめるような響きだった。
玄道は少しだけ視線を動かし、おさきを見る。
その目は真っ直ぐで、ただ知りたいという色しかない。
「……ああ、そうだ」
「人の頼みを受けて各地を巡っていた、妖を祓い、災いを鎮めるための旅だ」
短く答えると、おさきは小さくうなずいた。
「やっぱりそうなんだ」
「ときどき、玄道、話してくれるでしょう」
「困ってる人のところに行ったこととか、いっしょにごはん食べたこととか」
そう言って、少しだけ笑う。
「わたし、それ、好きだよ」
「なんだか、あったかい感じがするの」
玄道は返事をしなかった。
火の揺らぎを見つめたまま、わずかに息を吐く。
おさきは、しばらく黙っていたが、やがてまた口を開いた。
「ねえ、玄道」
「……なんだ」
「どうして、今は行かないの?」
その問いは、責めるものではなかった。
ただ不思議に思っているだけの、まっすぐな疑問だった。
「わたしここにいるのいやじゃないよ、静かできれいだし」
「こういうところ好きだもの」
少しだけ言葉を探すようにしてから、続ける。
「でも、玄道が話してくれる旅のこと、それもいいなって思うの」
「だから、なんでやらないのかなって」
玄道は、すぐには答えなかった。
囲炉裏の火がぱちりと音を立てる。
その音だけが、二人の間に落ちた沈黙を埋めていた。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「……お前がいるからだ」
おさきは、少しだけ目を瞬いた。
「わたし?」
「ああ」
「お前はまだ幼い、各地を巡れば危うい場にも出る」
「それを避けるため、ここに留まっているのだ」
言葉は静かだったが、そこに迷いはなかった。
おさきはしばらく黙り込み、それから小さく首をかしげた。
「でも、それって」
言いかけて、少し考える。
「玄道は、行きたいんでしょう?」
その問いに、玄道はわずかに目を細めた。
「……どうして、そう思う」
「だって、話してるときの玄道は、今とちょっと違うもの」
おさきは、ゆっくりと言葉を選びながら続ける。
「そのときのこと話すときね、少しだけやわらかいの」
「だから、好きなんだと思ってた」
玄道は何も言わなかった。
ただ、おさきを見つめる。
「わたし、ここにいるの好き」
「でも、玄道がずっとここにいる理由が、同じなのかなって思ったの」
責める響きはなかった。
ただ、そこにある違和感をそのまま言葉にしただけだった。
玄道は視線を落とし、火の中を見つめる。
守るために留まること。
それは間違いではないはずだった。
だが、それが本当にこの先も続けるべき選択なのか——
その答えは、出ていなかった。
「……危うい旅だ」
ようやく、言葉が落ちる。
「再び旅にでれば、穏やかでは済まぬ」
「それでも、よいのか」
問い返すと、おさきは少しだけ考えたあと、うなずいた。
「うん、こわいこともあると思う」
「でも、玄道がやりたいことをやらないでいる事が」
「なんだか、もったいない気がするの」
その言葉は、幼いがまっすぐだった。
「わたし、ちゃんとついていくよ」
「玄道が旅にでるなら、ちゃんといっしょについていくよ」
玄道は、その言葉を受け止めるように目を閉じた。
足かせだとは、思っていない。
ただ、隣にいる者として、当たり前にそう言っている。
その事実が、何よりも重く、そして静かに響いた。
やがて、玄道は目を開く。
「……そうか」
短く答えると、ゆっくりと息を吐いた。
「では、頃合いを見て発つ、支度を整えれねばな」
その言葉に、おさきの表情が少し明るくなる。
「ほんと?」
「ああ」
「無理はさせぬつもりだが、共に来るなら、儂から離れるなよ」
おさきはうなずいた。
「うん、わかった!!」
囲炉裏の火が、静かに揺れている。
外では、風が山を越えて流れていく。
その音は、先ほどまでの閉じた静けさではなく、どこか遠くへ続いているように聞こえた。
止まっていた歩みは、こうして、再び動き出そうとしていた。
日時: 5月16日(土)22時開始
集合場所:禅都銀行前
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この記事は、イベントを企画している「イベントモデレーター」のブログのページを引用しています。
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